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議会一般質問

令和6年6月 定例会6月18日

1松本パルコ撤退の検証と中心市街地の今後について

  1. パルコとのつながりと、「見取り図」のあり方

◎中山英子

誠の会の中山英子です。会派を代表し、宇留賀議員、今井議員に続き、土屋議員、太田更三議員とともに一問一答形式で、私見を交え、質問させていただきます。

3月の市長選挙から1か月後、株式会社パルコから協議を打ち切るとの話がありました。さらに翌週、追い打ちをかけるように、老舗百貨店井上の駅前店舗の閉店が発表され、2か月が経過しました。

昨日、芝山議員もパルコをテーマとして質問されており、重複する箇所もあるかもしれませんが、地元の視点を挟みながら質問させていただきます。

中心市街地に住み、日々パルコを目にして生活しておりますが、今回の件は、松本のまちにとっては大きな機会を逃したのではないかという思いが拭えません。もちろんいろいろな考え方があると思いますが、中心市街地の商業者や地域住民、またそのほかの人からも、同様の受け止めや不安の声も聞きます。

江戸時代以前から脈々と続いた商都松本の将来が全く見えない状況に、このピンチをチャンスに変えていく局面ではありますが、今回のパルコ撤退に伴う一連の出来事を行政、議会、市民がそれぞれに受け止め、検証する必要性を感じています。

そこで、改めて理事者に尋ねます。

一度閉店を決めた企業が再度可能性を探る提案をしてくれたということに、千載一遇のチャンスとおっしゃっていました。私も先ほど申し上げたとおり、大きなチャンスを逃したと思っています。このような結果をどのように受け止めていますでしょうか。また、その後、パルコの関係者とは何か話す機会を持たれていますでしょうか。


◎総合戦略室長(近藤潔) 

市の受け止めはとのお尋ねでございますが、中山議員同様、私も、残念であるという受け止めでございます。

改めて申し上げますと、中心市街地の長期の空洞化を招いてはいけない、こういった観点から、必要とあれば、松本市がポストパルコの計画に積極的、かつ、主体的に参画したい旨を相手に伝え、その結果、商業施設再開の可能性を示され、協議を進めてきました。

加えて、これまで多くの市民の方から要望をいただいていたにぎわい創出や市民の利便性向上につながる公共施設を中心市街地に設置できる機会、こういったこともあっただけに、この2つの可能性がなくなったことは非常に残念であるとともに、交渉窓口として携わった一人として、大変申し訳なく、そして力不足を感じたところであります。

パルコ関係者とは、パルコの後利用についてお話しすることはございませんが、引き続き良好な関係を維持し、その糸が切れることがないようにしてまいりたいと思います。

松本パルコが令和7年2月の閉店を迎えるに当たり、これまで松本市の発展に果たしてきた功績に感謝の意を表するとともに、一緒にフィナーレを盛り上げていきたいというふうに考えております。

以上でございます。


◎中山英子

力不足を感じている旨のお話がありましたが、ご担当された方々には一生懸命やっていただいたものと思っております。ただ、説明のタイミングと分かりやすさなど、工夫の余地はあったものと思います。

また、選挙戦を挟む誤解を受けやすい状況であったとも思うので、議会にのみならず、行政側が直接市民のところへ行き説明会やプレゼンを行うなど、必要性・必然性のストーリーを市民に分かりやすく、反対意見を凌駕する熱意を伝え続けてほしかったと思います。

短期間の中で判断をしていくのは、大変難しい面が確かにあったとは思いますが、選挙戦を通じ3億円、20年という金額ばかりが強く先走り、市政を二分するような印象を与えた結果によりパルコとの協議が打ち切りに至ったことは否めないと感じております。40年間にわたり、商業と文化の面で松本市のみならず松本圏域を大きく支えたパルコに対し、市民がノーと言ったかのような印象を先方に与えたことは、大変不本意でした。長きにわたり紡いできた歴史や関係がぷっつり切れてしまったとも感じさせる非常に残念で悲しい結果になったと私は感じております。

ここで、歴史をお話ししたいと思います。

松本パルコが位置する本町、伊勢町、いわゆる松本の中心市街地のへそに当たるエリアは、南北は善光寺街道と面し、西へ向かう野麦街道のスタート地点にあります。ここは戦国時代末期から城下町として栄え、人の往来が極めて活発な要衝でした。江戸時代より現代まで脈々と行われる新春のあめ市が商都の象徴であることは、周知であります。時代の中で多少の栄枯盛衰はあったかと思いますが、長きにわたり本町、伊勢町はまさに商都松本の中心部でした。はやしやデパートからその後を引き継いだ信州ジャスコがカタクラモールへ移転の後、松本パルコは1984年の開店以来、ランドマーク的な存在として商都松本の一翼を担ってきました。

過去をひもといてみたのですが、その当時の松本青年会議所は、全国的にもとても活発で、リーダー格であった本町商店街の方が中心となって、パルコを誘致したそうです。中央とのパイプが太かったことから、セゾングループの堤 清二氏との縁があり、実現に至ったといいます。パルコの社長は、堤氏の東大時代の盟友だった増田通二氏という方でしたが、この増田氏の父親、増田正宗氏は、松本市出身の日本画家でした。ちなみに、現在、松本市美術館にも所蔵作品があると聞きました。

様々な縁が折り重なったのでしょう。当時、20万人に満たない地方都市であった松本にパルコが生まれました。会長まで務められた増田通二氏は、パルコという商業施設を文化の発信地として若者文化を創った伝説の人物で、まちを丸ごと劇場に仕立て、前衛的で斬新な発想でまちづくりを行ったクリエーターでした。

社会学者の上野千鶴子氏によると、セゾングループのマーケティングをつくったのは増田氏だとも語っています。アーティスティックな広告戦略と人の巻き込みにたけたカリスマ的な存在だったそうです。パルコ劇場も増田氏のプロデュースでした。

また、作家辻井喬の顔も持つ堤清二氏は、松本市美術館の初代館長だった米倉守氏の時代に松本市美術館顧問を務めています。松本市市制施行110周年の2017年には、「堤清二 セゾン文化、という革命をおこした男。」と題した企画展が実施されました。

商業面への貢献とともに、一時代を築いたセゾン文化の一つであるパルコの存在は松本の自然風土と融和し、ほかの地方都市と一線を画した文化都市として一目置かれる松本のイメージへの貢献も果たしてきたということは言うまでもありません。様々な縁と経済と文化の相乗効果でまちを支えてきた存在でした。それだけに、繰り返しますが、古くからの商都の歴史を踏まえてみても、パルコが政争に持ち出された今回の流れは残念でした。

経済界に松本という場所はどのように映ったのでしょうか。この一連のニュースに松本での事業展開を検討している企業は、足踏みをするのではないかという懸念の声も聞こえてきます。

阿部議員が以前の経済文教委員会などで発言されていたように、親会社のJ.フロントリテイリング株式会社は、今年1月に若手の社長が新任され、現在、業績も上り坂にあります。連携によって新たな可能性が期待できた面があったことは、十分に考えられました。

行政側の説明の方法や、また準備に課題があった面もありますが、選挙戦で金額面のみを強調し、反対を唱えた方々は、どのような対策を持っていたのでしょうか。

行政、議会、メディア、市民とともに、市民益というものを多角的に冷静に深く考えていく必要があると自戒の念を込め、述べさせていただきます。

大変難しい状況ではありますが、パルコの撤退後も行政には、ソフト面だけでなく、これまで積み重ねた縁を大切にしてほしいと思います。様々な将来を見据え、パルコとの関係性を今後も大切に、情報交換を含めたよい付き合いを続けていただきたいと強く願います。

そこで、次の質問に移ります。

パルコが40年間松本圏域に果たした功績に対し、思い出を語ったり、感謝の意を示したいと考える市民の声も聞こえてきます。Mウイングには市民の書き込みボードが設置され、中心市街地の古い写真などが飾られ、商都を振り返るコーナーが好評のようです。閉店に向けて何らかの動きをしたいと準備を始めている市民もおりますが、市としては何か考えていますでしょうか。ないとすれば、関与する意向はございますでしょうか。


◎産業振興部長(長谷川雅倫)

初めての答弁になりますので、よろしくお願いいたします。

昭和59年8月にオープンした松本パルコは、新しいファッションや文化の発信地として多くの若者が集まり、中心市街地ににぎわいを創出するなど、松本市の活性化に多大な貢献をしていただきました。

市としましては、市民とともに感謝の気持ちを表すイベントなどを実施することについて、松本パルコに提案をしています。松本パルコと意見交換を行い、既存イベントの充実などを含めた事業の実施について、引き続き調整を進めてまいります。

以上です。


◎中山英子

2月にはパルコ、3月には井上百貨店も閉店します。商都松本の今後のためにも、これらの功績に対し、市民の活動とともに連携しながら、例えば市所有の施設の提供や人的なサポートなど市としても検討していただき、松本の中心市街地活性化の未来につないでいただければと思います。

現在、パルコへの来店者数は、平日で3,000人、休日は七、八千人とされており、閉店後は本町、伊勢町付近の本格的な空洞化は免れない状況です。市が現在準備を進めている中心市街地再設計検討会議でもこのエリアへの対応は議論の一つになると考えます。しかし、具体的な取組には時間がかかるものと推測します。

そこで、すぐにでもできるある意味応急的な市の取組として、例えば花時計公園や信毎メディアガーデン等を活用したマルシェへの支援や、パルコに来店した人に1時間駐車券を提供する毎日ぷらパルコのような取組、また、Mウイングを活用した魅力的な居場所づくりなど、にぎわいを絶やさない工夫をまちや市民と早急に考えていただきたいと思いますが、市の見解をお伺いします。


◎総合戦略室長(近藤潔)

議員ご指摘のとおり、中心市街地再設計検討会議では具体的な取組までには少し時間がかかるものと想定しています。

このような中、議員から活用についてご提案のあった花時計公園は、町なかににぎわいと潤いを与える場所として、さらなる魅力向上やより多くの人に活用してもらえる可能性がある公園だと捉えています。

これまでも長く開催されてきたワイナリーフェスタ、サマーフェストなどイベントだけではなく、近年は市内の事業者らが実行委員会を組織し、松本城下町天空マルシェ、こういったものを開催するなど、中心市街地の活性化につなげつつ、子供が遊べる場所として活用する動きが出てきています。

松本市では昨年度グリーンインフラの取組として、緑陰スポットの芝生補植やベンチ、高木プランターを設置、こういったことを行ってきました。

今後も引き続き花時計公園をにぎわいの基点とする環境整備や取組、こういったことを検討していきたいというふうに思っております。

以上でございます。


◎中山英子

商店街連盟等、町とも連携し対策会議をつくるなど、閉店前から具体的な準備を進めていただき、空洞化を食い止める動きを共に努めていただきたいと思います。

次に、中心市街地においての子供や学生の居場所の話題に移ります。

村井のイオンタウンに昨年オープンした子育て支援施設あんさんぶるは、予想の倍を上回る利用者で好調だそうです。

改めて調べてみたのですが、あんさんぶるの家賃は、約650平米で年間約2,100万円で賃貸借し、15年の契約ということです。パルコで賃貸する予定だった面積はあんさんぶるの約8倍の5,200平米で、置き換えて単純計算すると、約1億7,000万円ということになります。また、市の固定資産税路線価格を確認したところ、パルコの場所はあんさんぶるの場所の約3倍の価格でした。

これらを基に考えたとき、改修を含めたパルコの3億円という賃貸料は、決して法外な価格ではなかったと思います。所有するより賃貸は今の時代は現実的で、取組次第で投資の価値は十分にあったように感じます。

話を戻します。中心市街地の界隈でアンケート調査をすることに私も参画したことがありますが、「中心市街地で小さい子供を伸び伸び遊ばせる場所がない」、「歩行者天国も少ないため、まちへ出ていきにくい」といった若い家族の声を多く聞きました。そのほか、子供たちの学習の発表の場を求める声や市民の発表の場が欲しいという声は、多く聞かれます。

また何より、憩いの場や多世代が気楽に交流できるような、いわゆるサードプレイス的な役割を果たす場は必要とされており、今回パルコの後利用では実現できませんでしたが、空洞化を防ぐといった観点からも、中心市街地に早い段階で検討していくことが必要だと思いますが、理事者の見解を伺います。


◎総合戦略室長(近藤潔)

スマートフォンやインターネットを利用した商品サービスの購入といったライフスタイルの変化などにより、郊外に居住する若い世代を中心に足が遠ざかるなど、平成28年度をピークに中心市街地の歩行者通行量は減少しています。

また、市の玄関口である松本駅周辺は、昭和の区画整理事業から40年以上が経過し、当時建設された多くの建物が改築や建て替えの時期を迎えています。こういった場所は民間事業者による再投資の判断は極めて難しい状況にあるというふうに捉えています。

このような中、議員ご指摘のとおり、女性や若者を引きつけるエンターテインメント、先ほど議員からは、松本市がほかにはない文化都市だというような紹介ありましたが、こういった文化などの都市機能や子供の居場所を中心市街地につくり出す視点、これは今後のまちづくりに極めて重要であることから、中心市街地の再設計に向けた取組の中で広くアイデアを酌み取りつつ、必要とされる場所づくりに、これについて検討をしてまいりたいと思っております。

以上でございます。


◎中山英子

間が空き過ぎないよう、今ある場所をまずは活用することを検討しながら、取組を早くスタートしていただきたいと思います。

最後の質問に移ります。

臥雲市長にお伺いします。

「見取り図」を描くに当たり幅広く意見を聞くということですが、ただ市民から意見を聞くだけでなく、その後も主体として関わり続けてもらえるような巻き込みや、具体的なアクションプランを並行して描くことが同時に重要で、納得と共感を得るのに欠かせないと思いますが、お考えと意気込みをお聞かせください。


◎市長(臥雲義尚)

松本駅前から松本城に至る中核エリアにつきまして、再活性に向けた骨太な指針、新たな「見取り図」を描き直すに当たりましては、市街地の再活性に主体となって関わるプレーヤーの存在というものがまず重要であると考えております。商業、サービス業、交通、観光、宿泊といった事業者の皆さん、それぞれの代表には中心市街地再設計検討会議のメンバーとして取りまとめに当たっていただくとともに、その後も中心的な役割を担っていただくことを想定しております。

加えて、この中心市街地に長く住んでいる方々、頻繁に訪れている人たち、そうした幅広い方々にもこの親会議となる検討会議の下で各種団体を通じて意見をいただくということが私たちにとって重要であり、議員ご指摘のように、大勢の人たちを巻き込むという視点を持って臨んでまいりたいと思っております。

先ほど、一連のパルコの問題が松本に進出しようとする企業が足踏みをすることにならないようにというご指摘がございました。文字どおり、そうしたことを我々は払拭をして、今回の取組に臨まなければいけないと思っております。検討会議の発足を契機として、改めて大勢の市民が中心市街地の再設計・再活性に主体的に関わっていただけるように、市役所を挙げ、そして皆さんとともに取り組んでまいります。


◎中山英子

これまで、市や議会等の主催で意見交換等に集められた経験を持つ市民からは、「この先がどうなるのか、ただ聞いて終わりなのかといったフィードバックや次のアクションプランが不明瞭である」という厳しい意見を多く耳にしています。ぜひそのあたりを重く受け止めながら、活発な巻き込みへの決意と熱意を持っていただくことを要望します。

この1年、議員活動を通じ、まちづくりの主体者が誰なのかということを、私自身もとても考えさせられているところではあります。自分も含め、誰かがやるものだろうと人任せになっているような面もあるのかもしれません。まちを共につくるという機運をあおり、関わることが楽しくなるような営みをいかに生み出すのか、行政のイニシアチブ、市長のリーダーシップも大きく期待されているとも感じます。

併せて、今、まちづくりにはパブリックマインド、公共心を持った民間企業と連携し戦略を練り、稼げる自治体となることを貪欲に研究し、実践していくことも必要な時代です。この件については、次の土屋議員におつなぎいたします。

最後に、松本市は、一般財団法人森記念財団の調査で住みやすさと自然環境が魅力の戦略的観光都市8位にランクされています。これは先人の積み上げた歴史的・文化的資産と精神性に加え、俳人の平林荘子が松本を表した句、「山高く 水清くして 風光る」と詠んだ豊かな自然環境の恵みによるものが大きいと思います。

私が子供の頃の中心市街地は、「まちへ行く」と言われ、松本周辺に住む方々にとっても特別な晴れの場でした。今回の出来事を糧に、臥雲市政2期目におかれては、松本市全35地区及び松本圏域の人が自慢できるような、多世代がつながり合える現代の晴れの場所へ再び生き返らせるよう先人の思い、市民の思いを大切にして、多くの人と理解し合いながら前に進めていただくことを願っております。

以上で、私の質問の全てを終わります。ありがとうございました。