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まちづくり

6月議会⇒パルコ総括を一般質問

6月18日に市政一般に対する質問にて、私は松本パルコ撤退の検証と中心市街地の今後についてというテーマで質問をしました。
今更かもしれませんが、未来に向けて一度検証して残しておかなくてはならない話だと思ったゆえに、目の前で繰り広げられてきた事実を伝えながら、質問しました。


パルコ閉店が発表され、昨年6月の一般質問で私も含めパルコ問題については市の関与と市民意見の聴取を求めたこと、さらに商工会議所と商店街連盟から市へ関与を求めたこと、これらを踏まえ市もパルコと折衝に入った経緯があり、パルコサイドから昨年11月に示された賃貸借により松本への店舗を若干残して営業することを提示。賃貸借の内容については、パルコ北側(伊勢町側)の3~6階までのフロアを年間3億、20年の契約をベースに議論をスタートという話でした。
民間企業が一度閉店を決めたことを覆したうえで、残留を決めたことは先方にとっても大きな決断であり、一定程度松本市への期待の思いもあったと思われます。しかし金額的な面が一般的に高すぎるのではという疑念から、市民への理解が得られなかった、また、発表の後に行われた市長選挙に利用され、その様子がパルコに伝わり、心象を悪くしたこともあり白紙に撤回された。パルコ跡地の今後は見えない状況になったわけでした。

市の計画や説明の甘さは確かにありました。それゆえに、この計画を進めるための決議メンバー「経済文教委員会」の一員でもあった私は、市に何度も直接質問し、要望をしながら、地元と話す中、自分が賛成するにあたっても、慎重に進めてきました。性急に判断しないとならない状況の中ではありましたが、反対した場合の具体的対案はどこにもないため、進めて成功させていくために先進事例の視察や専門家に話したり、仲間づくりへの準備をしながらおりました。どちらに進むにしても簡単ではない道であるなと思っていましたが、今の松本市レベルの規模の都市に商業施設を成功させるのは至難の業であり、人が集まるを公民連携で作り出すことは唯一無二に近い選択肢なのではとも感じていました。確かに、長野市の元ダイエー跡地に入った行政主導の空間は、かなり残念な状況だったりもするので怪しいとも言われますが、ここ数年では成功事例も多くあり、研究しながら松本に合った方法を試行錯誤して作り上げていくことをイメージしていました。

市長選挙で市長の反対派による執拗な金額が先走るネガティブキャンペーンを繰り広げられ、一か月後の4月14日に白紙撤回の連絡を受けてゲームオーバー、中心市街地ど真ん中の将来が全く見えない状況となり、2か月経過しますが、本当にもったいないことをしたなと個人的には感じています。

あらためて金額的な面を検証したのですが、市の事業として村井のイオンタウンに作った子育て支援施設あんさんぶるが好評で、予想の倍以上の利用者が集まっていること、また、ここも賃貸ですが、パルコの金額と比較し、パルコの価格は決して高額ではなかったこともわかりました。そういったことを市も早くに示してほしかったなと思います。また、ネガティブキャンペーンを張り、市民を洗脳した人の中には選挙に加わった議員もいた。本当に市民にとって有益な議論と決断のために、どうあるかということは私自身も本当にしっかり見つめていかなくてはと自戒の念の込めました。

私自身、ごく近くで生まれ育ち、商都の空気を感じて育ってきました。今回の質問にあたり、今に至るさまざまなまちの歴史を残しておきたいと思い、多くの人に取材したり、調べたりしました。本町伊勢町は本当に江戸時代より前からの要衝で、さまざまな出入りがあったこと。昭和の大型店の時代になってはやしや、信州ジャスコ、パルコと推移したわけですが、パルコの出店に至っては商都ならではの商店街の人々の尽力やさまざまな縁があって誘致に成功した歴史、また、パルコと創ってきた松本のイメージ。それらの営みの上に自分が生きていることをあらためて思いました。

課題はこれからのまちづくりです。パルコ閉店を契機に、何か議論や新しい動きを起こしていければと思っています。